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孫子

第5 勢篇

 複雑な事実関係でも単純な事実関係であるかのように主張できるのは,事実関係をきちんと整理しているからである。難解な争点を簡単に立証できるのは,証拠をきちんと整理しているからである。相手方から訴えられても敗訴しないのは,(その事案に応じた具体的な価値判断である)情実論と(その事案に形式的に法律を当てはめた判断である)法律論を整理できているからである。裁判となって,壁に卵を投げて割るように,簡単に勝訴できるのは,(証拠が十分な請求原因事実をもって,証拠が不十分な抗弁事実の事案で争訟するという)虚実の運用ができているからである。

 およそ裁判は,その法律論で相対し,その情実論で心証を勝ち取るものである。ゆえに,情実論をうまく書ける弁護士は,どのような事案を受任しても,その主張が窮まりなきこと天地のようで,尽きることがないことは長江や黄河のようである。終わってまた始まるのは四季の繰り返しである。沈んでまた浮かぶのは日月がそうである。色は五色に過ぎないが,その組み合わせは無限で見尽くすことができない。音は五音に過ぎないが,その組み合わせは無限で聞き尽くすことができない。味は五味に過ぎないが,その組み合わせ無限で味わい尽くすことはできない。主張のありさまも,法律論と情実論の組み合わせに過ぎないが,その組み合わせは無限で,極めつくすことはできない。情実論と法律論とを組み合わせるありさまは(情実論が優れていれば適切な法解釈が提案でき,法解釈が優れていればその情実論の説得力が増すので),環に端がないようなものであり,誰がこれを極めることができようか。

 「勢」とは,例えていえば,激しい水流で岩を動かすようなものである。「節」とは,猛禽が獲物に一撃を加えて打倒してしまうようなものである。優秀な弁護士の主張は,その「勢」は強く,相手方に反論できる雰囲気を作らないし,その「節」は絶妙であって,主張するべきポイントを確実にとらえている。どこに争点であるか分からないほど激しい論争となっても,その主張は一貫し,複雑な事実関係で立証が困難な事案であっても,敗訴することがない。

 一見整理された主張も,後に混乱することもある。強気な主張をしていた弁護士が,後に弱気な主張をすることもある。一見完璧な証拠関係も,後に信用されない証拠と扱われることがある。主張が整理されるか混乱するかは事実関係の把握による。大胆な主張となるか弱気な主張となるかは,裁判の「勢」によって決まる。証拠の信用性は,集められた証拠の整理による。

 優秀な弁護士が相手方に主張を促せば,相手方はかならずこちらが求める主張をし,証拠を出すべきことを示唆すればその証拠を提出してくる。求釈明をもって相手方に主張をさせ,隠し持っていた主張と証拠でそれに反論するのである。

 優秀な弁護士は,裁判の「勢」で勝とうとし,個別の事実や証拠だけで勝とうとはしない。適切な事実と証拠を選択して,「勢」に任せて主張する。「勢」に任せて主張するありさまは,木石を転がすようなものである。木石は,安定している時は静止しているが,不安定であれば動き始め,形が四角であれば止まり,丸ければ転がっていく。そして,うまい主張立証をしている弁護士は,丸い石を千尋の山から転がり落とすように,その事実だけで何の説明もなく法律論を明らかにし,証拠を提出するだけで何の説明もなく事実を立証する。この主張立証する様を「勢」というのである。

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