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孫子

第11 九地篇

 争訟の局面では,散(主張されれば反論できない段階),軽(主張が浮き立つ段階),争(相手方と論争する段階),交(相手方も当方とで事実関係に争いがなくなった段階),衢(関係者の話を聞くべき段階),重(重要な段階),圮(主張しにくい段階),囲(囲まれた段階),死(窮まった段階)がある。相手方が当方側の証拠をすべて把握して主張されるというのが「散」である。まだ主張を始めたばかりというのが「軽」である。争点が明確となって,ある事実について当方相手方双方が立証を尽くそうというのが「争」である。相手方も当方も同じ事実関係を前提として議論する段階が「交」である。ひとつの事実関係について証人を何人も呼ぶことができるというのが「衢」である。その論点で立証に成功しなければ裁判で不利になるというのが「重」である。主張するべき事実関係が複雑でおよそ立証が困難なのが「圮」である。困難な立証命題を与えられて,わずかな証拠で反証されるというのが「囲」である。あるだけの証拠を提出すれば免れるが,証拠を提出しないでいると敗訴するというのが「死」である。こういうわけで,「散」ならば論争してはならず,「軽」ならば軽率な主張をしないよう慎重にし,「争」ならば先に相手方が立証した事実に反論してはならず,「交」ならば主張でこれを無視してはならず,「衢」ならば多くの関係者と連携し,「重」ならば主張を畳みかけ,「圮」ならばこれを争点化せず,「囲」ならば情実論を展開し,「死」ならばすべての証拠を出し尽くすべきである。

 昔の優秀な弁護士は,事実関係を整理させないように相手方を混乱させ,証拠関係を関連づけさせないようにし,相手方本人と代理人弁護士とが互いに協力できないようにし,関係者が互いに助け合わないようにさせ,証拠を散逸させ,証拠が集まっても整理できないようにさせた。こうして当方に有利な状況になれば訴えを提起し,有利にならなければまたの機会を待ったものである。

 問。相手方が事実関係を整理して完璧な証拠で訴えを提起してきたらどうしたら良いか。答え。相手方に先んじて相手方が拠りどころとしている事実関係について裁判官の心証を得るならば,相手方はこちらの思い通りになるであろう。裁判の実情は迅速が第一。相手方の主張立証が完成しないうちに,思いがけない要件事実を主張して,相手方が証拠を有していない事実を立証することである。

 およそ訴えを提起した場合のやり方としては,重要な論点で主張立証を尽くせば当方の主張は固まり,相手方はこれに対抗できず,そこでさらに相手方に手持証拠を開示させれば,当方は証拠十分となる。そこでよく事実関係を再確認して矛盾が生じないようにし,裁判官の心証を高めて証拠を温存し,主張を展開して策謀をめぐらし(その態勢を相手方からは)はかり知れないようにして,事件を裁判で勝訴するほかは解決がない状況にすれば,死んでも敗走することがない。決死の覚悟がどうして得られないことがあろう。弁護士が事務所をあげて力の限り戦うことになる。事件があまりにも絶望的な状況に陥れば,弁護士は開き直って絶望的な未来をおそれないようになり,和解の途がなくなって判決を得るほか解決がなくなったときには,精力的に主張立証するほかなしと弁護士の心が固まり,そのうえで相手方の主張をいくつも反駁できた時には,依頼人と弁護士が団結し,証人尋問に至ったときは,敵性証人の証言を崩すために果敢に質問する。このような事件のときは,主張は弁護士が整理しなくても統制がとれ,証拠が足りなくてもわずかな手持ち証拠を提出するだけで立証ができ,主張事実は自然と関連し合い,法解釈に気をとめなくても自然と要件事実が主張される。そして怪しげな事実関係を主張したり,関連性のない証拠を提出したりしないよう注意すれば,最後まで裁判は維持できる。余分な主張を排除するのは,その事実が存在しないとしてするのではない。手持ちの証拠を提出しないのは,立証をあきらめてするのではない。主張と証拠を厳選して,論争に決着をつけるためにそうするのである。証人尋問の前日には,弁護士は,極度に緊張しているもので,座っているときは涙で襟をうるおし,寝ているときは涙で顔じゅうをぬらすが,こういう弁護士がいざ法廷で証人尋問にのぞめば,みな古の勇者のように,果敢に質問するものである。

 優秀な弁護士の主張は,たとえば卒然のようなものである。卒然というのは常山にいる蛇のことで,その頭を撃つと尾が助けにくるし,その尾を撃つと頭が助けにくるし,その腹を攻撃すると頭と尾とでいっしょにかかってくる。このように,優秀な弁護士が主張する様は,ある事実に反論しようとすると,別の事実をもって再反論され,その別の事実に反論しようとすると,その事実をもって再反論され,まったく異なった視点から反論しようとすると,両方の事実をもって再反論される。「主張は,この卒然のようにならせることができるか。」と聞かれれば,「できる。」とこたえる。そもそも呉の国の人と越の国の人とは互いに憎しみ合う仲であるが,それでも一緒に同じ船に乗って川を渡り,途中で大風にあたった場合には,彼らは左手と右手の関係のように密接に助け合うものである。一見矛盾するような事実関係でも,これを整理できなければ敗訴するという必死の思いで検討すれば,首尾一貫した主張になるのである。こういうわけで,依頼人の言うとおり事実を主張し,依頼人が持っている証拠を提出するだけでは,決して十分ではない。いずれの事実もひとしく整理して主張するためには,要件事実に従った整理が必要である。証拠十分な事実も証拠不十分な事実もひとしく説得力をもつのは,事実関係が整理されているためである。優秀な弁護士が,主張をまるで手をつないでいるかのように一貫させるのは,これを整理しなければ敗訴するという気持ちで取り組むからである。

 弁護士たる者の仕事は物静かで奥深く,正大でよく整っている。自分の事務員の耳目をうまくくらまして相手方に当方の計画がもれないようにし,そのしわざをさまざまに変えその策謀を更新して関係者に気付かれないようにし,着々と証拠を集めて主張を抑制し,相手方に当方の意図が分からないようにする。相手方に主張をするときは,高い所へ登らせて梯を取り去るようにして,撤回することがないような覚悟を決めて行い,相手方の主張をいくつも反駁して論破するときには羊の群れを追いやるように,事実関係に従順に従って,無理なく丁寧に行うようにする。釈明を求められて様々な事実を開示するが,当方が何を意図して主張しているかは,相手方は最後まで分からない。すべての証拠を集めて,そのすべてを,その争点で論破されれば敗訴してしまうような重大な局面で投入する,それが弁護士たる者の仕事である。9通りの局面に応じた変化,状況によって主張立証を調節することの利害と,これに対応した心証の自然な動きについては,十分に考えなければならない。

 およそ訴えを提起した場合のやり方としては,相手方の主張をいくつも反駁した段階では当方の主張は固まるが,訴え提起の当初は主張が浮足立ちやすいものである。訴えを提起してだいぶ経った段階が「絶」である。「絶」の段階では,これから法律構成を主張しようというのが「衢」であり,相手方の主張を多く論争して最後に争点を残すというのが「重」であり,主張してまだ相手方の反論を得ていないのが「軽」であり,どのようにしても立証が難しいのが「囲」であり,その争点を論証できなければ敗訴するがまだ立証に至っていないのが「死」である。こういうわけで「散」ならば,このままでは簡単に反論されてしまうから,自分は補強証拠を探そうとする。「軽」ならば,主張が動揺しやすいので,自分は慎重に主張を選ぼうとする。「争」ならば,先に心証を得た方が有利であるから,急いで証拠を提出する。「交」ならば,当事者双方が認めるべき前提事実が明確になっているから,それが当方の要件事実と矛盾していないか検証する。「衢」ならば,関係者の証言で裁判の有利不利が決まるので,できるだけ多くの関係者の話を聞こうとする。「重」ならば,あともう一息で判決を得られるから,立証に手抜きがないか検証する。「圮」ならば,事実関係が複雑で,裁判官がどのような心証を抱くか予測できないので,早く他の論点に切り替える。「囲」ならば,和解の提案がされることもあるが,依頼人のプライドを守るために,自分は和解を断ろうとする。「死」ならば,力いっぱい立証しなければ敗訴するのだから,その争点を立証できなければ敗訴する状況を正確に把握しようとする。そこで,「囲」で,立証が困難でも自然に主張が展開され,「死」で,その争点を立証できなければ敗訴するような場合で精力的に立証しなければならない状況になれば果敢に立証し,一歩でも主張を誤れば敗訴するような危険な状況では,事実関係を争わないようにする。

 そこで,関係者の腹のうちが分からないのでは,前もって協力を求めることはできず,立証の難易や証拠の有無といった事実関係の状況が分からないのでは,主張を展開することはできず,その事情に詳しい関係者から話を聞けないでは,その事実関係を立証することもできない。これら3つのことは,その1つでも知らないのでは,覇王の弁護士ではない。そもそも覇王の弁護士は,もし大組織と争えばその大組織が把握している事実関係は相互矛盾して信用されず,もし威勢が相手方を覆えばその相手方は孤立して証人に協力を求めることができない。自分から関係者に協力を求めず,また争訟になったときの準備もせず,自分の思う通りに主張するだけで,その主張がまったく自然なので,威勢が相手方を覆っていく。小さな証拠を大いに目立たせ,相手方の堅実な証拠を厳しく弾劾していると,いかに複雑な事実関係でも,単純な事実を主張しているかのようになる。主張に説得力を与えるには,ただその要旨のみを明らかにし,その説得力あることを力説せず,その要旨が判決に重要な意味を与えることのみを伝えて,これがこれまでの主張整理の結果に影響を与えることを気にしてはならない。立証困難の状況になれば,証拠収集に必死となって,ついには決定的な証拠を発見できる。敗訴すべき状況になれば,主張立証が必死となって,相手方の完璧な主張のほころびを突くことができ,敗訴を免れるのである。そうした危難に陥ってこそ,はじめて勝敗を自由に決することができるのである。

 そこで争訟に出るうえでの大切なことは,相手方の意図を十分に把握することである。相手方の意図をのみこんで主張をし,いくつもの議論のすえに相手方の弁護士を論破する,それを巧妙にうまく争訟を成し遂げたというのである。こういうわけで,いよいよ訴え提起となったときには,相手方との情報交換はすべて遮断し,依頼人や関係者にも余計なことを言わないよう言い含め,何度も打合せを重ねてその主張するべきものをはかり求める。そして,もし相手方に動揺したすきがみえれば,必ず迅速に話をまとめ,相手方が隠したいと思っている事実を第一の反対尋問事項としてひそかにそれと心に定め,だまったまま相手方の主張に応じて反論反証を展開しながら,ついに証人尋問をして判決を得るのである。こういうわけで,はじめは処女のように主張していると相手方では油断して手持ちの事実を開示し,その後,脱走するウサギのようにするどく主張すれば,相手方は,すでに不利な事実が明るみになっているので,とても反論できないのである。

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