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およそ訴訟では,弁護士が依頼人より受任し,主張を整理し,証拠を集め,訴えを提起する中で,裁判官の心証を得ることほど難しいものはない。裁判官の心証を得ることが難しいのは,難しい主張を簡単な主張のように見せかけ,有害なことを利益であるかのように見せかけることである。当方が争訟の準備に手間取っているように見せかけ(相手方を安心させ),相手方に利益を示して(交渉するなどして時間をかせぎ),相手よりあとから争訟の準備をしながら,相手より先に裁判官の心証を得るのである。それが遠近の計を知る者である。心証の獲得は利益を収めるが,そのための主張立証はまた危険なものである。もし弁護士が裁判官の心証を獲得するために万全の準備をすれば膨大な時間と労力がかかり,その間に相手方が先に裁判官の心証を獲得してしまい,かといって準備も十分でないのに主張立証を始めては,重要な主張をもらしてしまうことになる。すなわち,証拠も確認しないで,複雑な事実関係の主張だけ組み立て,裁判官の心証を獲得しようとすれば,相手方に争われて心証は獲得できず,不適切な主張をした事実が訴訟で援用されて,裁判でも負けることになる。最初に主張した事実が後で主張する事実と矛盾し,主張の全体が信用されなくなるからである。確実に立証できる単純な事実関係だけを主張して裁判官の心証を得ようとすると,関連事情を主張できなかった説明責任を問われ,関連事情の主張に説得力がなくなる。立証確実な事実であっても,これを不用意に主張して裁判官の心証を得ようとすると,相手方に当方が把握している事実関係を知らせる結果になる。その場合に裁判官の心証が得られないと,相手方に反論の準備をさせることになる。
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関係者が何を考えているか分からないときは,裁判の協力を求めることはできない。事実関係の把握,主張の難易,証拠の有無が検討できていない弁護士は,法的手続きを進めるべきではない。その分野に詳しい専門家の意見を聞かない弁護士は,その分野での法律論を展開することができない。
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争訟は,相手方の裏をかくことを旨とし,訴訟上有利になるように行動し,相手方の主張や証拠に応じて主張と提出証拠を変えていく。すなわち,風のように素早く証拠を集め,林のように静かに準備をし,主張するときは火の如く,相手方の反論に動揺しないことは山の如く,相手方にはこちらが何を主張しようとしているのか闇夜のように分からず,こちらが主張立証するときは雷のようにする。証拠保全のときは一斉に行い,主張する事実を拡張するときはその裏付証拠を確保しておき,常に裁判上有利か不利かを考えて行動する。遠近の計(最初は主張立証にとまどっているように見せて,相手方から主張や手持証拠を引出し,相手方の核心部分は弾劾証拠であるかのように見せて隠したままにさせ,相手よりも先に主張立証を完成させるやり方)を先んじて用いた方が勝つ。これが裁判官の心証を得ようとする場合の原則である。
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「口で言っても信用されないから文書を残し,指示しても見ないから写真に残す。」文書や写真は,誰が見ても一目瞭然である。誰が見ても一目瞭然の証拠であれば,想像が行き過ぎる裁判官でも余計なことは考えず,物分かりが悪い裁判官でも納得する。これが立証の方法である。相手方についてはその気力を奪いとることができ,弁護士についてはその心を奪い取ることができる。争訟当初は気力が鋭く,中盤になると気力が衰え,証人尋問の頃には気力が尽きてしまうものである。それゆえ優秀な弁護士は,相手の気力が鋭い,訴訟当初の和解提案は避け,その衰え尽きたところで和解の提案をする。それが「気を治める」ということである。また整理された主張で混乱した相手方の主張に反論し,冷静な状態で動揺した相手方と交渉する。これが「心を治める」ということである。単純な事実で相手方が複雑な反論をしてくるのを待ち受け,できる主張を残した状態で主張を出し尽くした相手方と論争し,証拠十分な状態で証拠が足りない相手方に反証する。これが「力を治める」ということである。よく整理された主張には反論を挑まず,充実した証拠関係に対しては反証を挑まない。それが「変を治める」ということである。